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イザークさんの15000Hit記念SS

〜 まあその・・・一応、紅茶を一杯 〜


 宇宙歴798年12月12日。
 イゼルローン要塞に大挙して押し掛けたオスカー・フォン・ロイエンタールの
一軍を撃破して後の、3日後のことである。
 イゼルローン要塞司令官、ヤン・ウェンリー大将は風邪を引いて寝込んでいた。
 この時期における、ヤンの精彩と活力の欠乏症は、彼の副官である、
フレデリカ・グリーンヒルがひそかに心配するところであったのだが、
その落ち込みぶりは、ものの見事にヤンから健全な健康をも蝕んでいたのだった。
 常で在れば、彼の被保護者であるユリアン・ミンツが、ヤンの看病をするところで
あるのだが、あいにく彼は、フェザーンでの勤務を命ぜられて、イゼルローンと対を
なすもう一つの回廊へと旅立っている。
 数百光年を一度にワープする技術は未だ開発されていない現状では、ユリアン
がすぐに来てくれるわけでもなく、また保護者が病気だからといって呼び戻せるわ
けもさらにないので、ヤンとしては自力でこの風邪を克服するよりないかに思われ
たのだが、流石に「ぐうたら司令官」と酷評されようが、公の場にその姿が見えな
ければ彼の幕僚たちも気づくというものである。
 自薦他薦により、彼の副官であるフレデリカが、ヤンの看病をすることになり、彼
女は臨時休暇を申請するや、いそいそと支度を始めた。
 ちなみにこの時、他薦した者たちのスラックスから、先のとがった黒いしっぽが見
えかくれしていたというまことしやかな噂が流れたが、真偽の程は定かではない。

 「た、大尉?なんでまた・・・?」
 「閣下がお風邪を召したと聞きましたので、看病をしにきましたの」
 「そ、それはありがとう・・・しかし・・・」

 ヤンは次の言葉を僅かに言い淀んだ。

 「家の中がちょっと散らかってるし・・・その・・・公私混同だと言われないかなあ」
 フレデリカは二、三度目をしばたいた。

言葉の意味を理解したとき、彼女は思わず微笑んでしまった。

 「お気になさらなくても大丈夫ですわ。上司の健康状態に気を配るのも、副官の
 役目の一つですわ。この程度で公私混同なんて言わせません」
 「はあ、そういうものかなあ」
 「さ、閣下。ちゃんと寝ていてくださいな。みんなも心配していますし、きちんと直
 さないといけませんわ」

 ヤンはその言葉に背中を押されたように、のろのろとベッドに移動をした。
 ベッドのサイドテーブルには、ヤンのお気に入りの紅茶のカップが鎮座していた。
その中身は「紅茶入りブランデー」なのだが、すでに3分の2程は飲み干されている。
そして、その後ろに傲然と立っているブランデーの瓶を発見したとき、フレデリカは一
つ溜息をついた。

 「だめですよ、閣下。お酒ばかり召し上がっていては。ユリアンがいたら、きっと叱
 られますわよ」
 「いや、これはだね大尉、風邪には卵と蜂蜜と酒を混ぜたものがよく効くと聞いてだね?」
 「卵と蜂蜜がなかったから、お酒だけになったのですか?」
 「まあその・・・一応、紅茶を・・・」

 全く反撃になっていない反撃だったが、フレデリカは苦笑と共にそれ以上の追求をやめ、
部屋の片づけを始めた。
流石にユリアンの薫陶が行き届いていたのか、ヤンの部屋はユリアンの来る以前の彼の
部屋を知る者であれば、「以外に片づいている」とでも評したに違いないが、ヤンの私室に
入る事自体が極小であり、またその時は大抵ユリアンがいた為に、今以上に整頓されて
いる部屋を見ているフレデリカは、実に手際よく整理整頓をしていった。

 「せっかくなのですから、のんびりとお休みになってくださいね?」

  部屋の整頓を終えたフレデリカは、ベッドサイドの椅子に腰掛け、ヤンのタオルを交換
していた。
 いつのまにかヤンは穏やかな寝息をたてており、あたりは沈黙の天使の保護下に置か
れたようであった。
 (先日来の帝国軍との戦闘の折から、元気が無いように思っていたけど・・・。だめね、
  私って・・・。ユリアンがいない今、この人の健康に真っ先に気づいてあげなくてはな
  らなかったのに)
 その内なる声に反応したかのように、ヤンが僅かに身じろぎした。
 額に乗せたタオルが滑り落ち、ヤンは僅かに眉根を寄せて嘆息のような声をあげた。

 「閣下?」

 フレデリカは問いかけたが、ヤンの返事は無論無い。
 フレデリカは思わず僅かに腰を浮かせると、ヤンの額に、自分の額をあてて熱を計ってみた。

 「よかったわ、だいぶ下がってる・・・」

 ほっとした面もちでフレデリカはつぶやいた。
 安心からか、我に返ったフレデリカは、ヤンの顔が至近にあることに気づいて思わず赤面した。
(何を考えているの、フレデリカ)
 潮騒が満ちるように、自らの鼓動が耳に反響してくるのをフレデリカは聞いた。
ヤンは相変わらず、穏やかに寝息をたてている。その両方の頬に軽く手を添えたまま、フレデリ
カは硬直していた。(いけない・・・こんな事・・・)
人は葛藤するときに、天使と悪魔が戦うと言うが、それが正しく真理であることを心のどこかで
フレデリカは肯定した。
 彼女の視線は、すでにヤンの唇の上に固定されている。
 (だめよ、こんなの卑怯だわフレデリカ)
 (何を躊躇っているの、好きなんでしょ彼が)
 (ヤン提督の寝ている隙につけ込むなんて・・・)
 (いい子ぶるのは止しなさい。彼が欲しいくせに)
 (そう、私は提督が好き。でもそんなことはずるいわ。私には・・・)
 (そんなことを期待して来たんじゃないの?本当は自分でも解ってるくせに)
 思考の海に沈むほどに、内なる声の一方が強くなっていくのを、フレデリカは止めることが
出来なかった。

 「提督・・・」

 潤んだヘイゼルの瞳が二度、三度と瞬き、一度は離れたお互いの顔の相対距離が、
再び減算されてゆく。
 それがあと10cmばかりまで縮まったとき、フレデリカは髪の上に、暖かくて優しい感触を感じた。

 「大尉・・・いけないよ」
 「・・・!ていと・・・」

 それは、いつのまにか差し出されていたヤンの掌だった。
 瞬間的に硬直してしまったフレデリカに、ヤンは顔をやや赤らめつつも優しく諭した。
 「大尉に風邪がうつってしまったら、私はどうすればいいんだい?」
 「閣下・・・」
 「ああ、そんな顔をしないでおくれ、大尉。その・・・手の感触が、心地よくてね、その、
 ちょっと前から目が覚めてはいたんだが・・・」
 「・・・・・・もう、閣下!意地悪ですのね」
 「悪知恵だけは昔からよく働いたんだが・・・いやその、何を言ってるんだ私は」
 「まだお熱があるんじゃありませんの?」

 そう言って、フレデリカは素早く額で再び、ヤンの熱を計った。

 「うわわ、たた大尉っ!?」

 流石に面と向かっているからか、ヤンは酷く慌てて赤面した。

 「ふふ・・・これで、許してさしあげますわ」

 悪戯っぽく言って笑ったフレデリカだったが、流石にヤンの顔を正面から見る事はできなかった。
ヤンに劣らず赤面していたからである。
 僅かに甘い、沈黙の天使が通過した。
 「・・・ありがとう、大尉・・・私が落ち込んでいたことに、気づいていたんだろう?」
 「・・・はい、閣下・・・」
 「まったく、自分が情けなくなるよ。帝国軍の、ローエングラム公のやろうとしている事が何と
  なく解ってきたのはいいんだが、それに対して私ときたら、何一つ手を打つことが出来ないこと
  に気づかされてね」
 「閣下・・・」
 「因果なものさ。あれほどさっさと軍人なぞを退役して、のんびり暮らしたがっていたのに、
  それに全くと言っていいほど逆らいそうになる自分がいる」
 フレデリカは答えず、ヤンの次の言葉を待った。
 「私の予想が正しければ、近い将来私は軍人をやめることが出来る。それも、半強制的にね」
 「なぜそうお思いになりますの?閣下がおられなければ、イゼルローン回廊は危地に立たされ
  ますのに・・・」
 「危地に立つことがありえなくなるからさ」
 こともなげにヤンは言い放った。
 「おそらく帝国軍、いや、あの戦争の天才、ローエングラム公ラインハルトは、大艦隊を何らか
  の形で通過させるだろう。フェザーン回廊をね・・・」
 「フェザーン・・・!」
 「そう、そしてそこを抜けさえすれば、同盟領はもぬけの空さ。ビュコック長官の艦隊だけでは、
  消耗戦に持ち込まれれば到底勝ち目はない。その後は・・・」

 フレデリカには言わずとも解った。
 自由惑星同盟自体が滅びてしまえば、ヤンが軍人のままでいられるはずがないのだ。

 「まったく、どこか遠くて静かな星にでも逃げ出したい気分だよ。でもそうもいかないし、
かといってこのままここにいても、戦略的には大して意味がない。せめて長官の艦隊に合流できれば、少しは状況を良い方向にもっていくこともできるんだがなあ」
 そこまで言ってから、ヤンは急に心づいてフレデリカに詫びた。
 「すまない、大尉・・・つい、愚痴ばかり・・・」
 「謝らなくてもよろしゅうございますわ、閣下」

 フレデリカは胸の前で掌を組んで、静かに答えた。

 「辛いことや、愚痴りたいことを溜め込まないでください、閣下。
私たちは、上官と部下である以前に、家族も同然じゃありませんか。
閣下おひとりで背負いきれないものを、分けて持ちあうために、私やユリアン、キャゼルヌ少将
やアッテンボロー少将がいるのですわ」

 ヤンは数度目をしばたいた。不覚にも、熱いものがこみ上げてくるのを自覚してしまった。
 「・・・ありがとう、大尉・・・その、ありがとう・・・」

 ヤンはこの四ヶ月後、フレデリカにプロポーズをするのである。